朝から美しい日差しで、、、深まり行く秋の公演はとても気持ちのいいものです。
「正庁」は明治の面影を色濃く残した、存在感のある佇まいです。
雨に洗われた木々が光に映え、、、
監督が「今回は舞台の設えを変えよう」
そして、舞台を何時もとは別にして、「能舞台のように使おう」
「客席も少し変えよう」
そう仰って今までとは違う設えです。
地唄「狐火」大石内蔵之助の作詞による地唄、討ち入り前の覚悟を決めた人間の言葉、、、
今回は不思議とその想いが胸に響きました。
狐でありながら人間に恋をする。添えぬ思い、
「あるかなきかの首尾を思うが命さ、、、」
「限りある身の限りを知らで、甲斐もなき身を打ち嘆き、、、」
「なんの因果で娑婆に来て、生きて添わるる身ではなし、、、」
この一つ一つに命の限りを、、、覚悟の命を、、、
舞っていて単に女の情念ではない、人としての覚悟、命の限り、
そんな舞であると感じていました。
これは、これから人生を賭けて舞う舞であると、そう思いました。
地唄「長刀八島」
長刀は本当に扱いが難しかったです。
私の弟子に長刀の師範が居ます。彼女に最初の手ほどきを受けました。
主に型です。ただ、試合の作法との型と舞とは異なるので、その後はただひたすらに勉強です。
先代の金剛巌師のDVDを持っていましたので、このDVDは昭和の名人といわれた能の方がたのDVDで、事あるごとに勉強をさせて頂いていました。
「船弁慶」の長刀の所作がありただただ観ました。
そこから作舞です。
今回は最初漁師で出て、義経の亡霊になり、合戦、そして、諸行無常の世界へ、、、、、
昼の部が終わり監督が言って下さいました。
「型を決めて後0,3秒静止」
「長刀を持ったら荒事として扱え」
そして、夜の部へ、、、
2回観てくださった人が変わったねと、、、
一つ一つが学びと修行!!!
多くの課題を感じました。
これからです!!!
何時も地方をして下さる北野峰琴さんとよく話します。
「古典を残したいね。今もう唄われていない、舞われていない、それを残そう!!!」
二人でこれから成し遂げてゆく仕事です。
今回の「狐火」もその一つです。
来年は「那須野」「関寺小町」まだまだ多くの曲が、素晴らしい曲があります。
これを世に出して、残してゆくそれが大きな仕事と感じています。
また果てしない道へ、、、